![]() | ザッツ・ア・プレンティー (2011/12/22) 松岡 弓子 商品詳細を見る |
(亜紀書房,2011.12.21,416頁,\1,890〈本体〉)
こんなに早くに出るものか、と思ってしまうが、読み始めると読み入ってしまう。
![]() | 落語の達人: この噺家を忘れてはいけない! (2011/12/12) 瀧口 雅仁 商品詳細を見る |
(彩流社,2011.12.25,241頁,\2,000〈本体〉)
はじめに
五代目柳家つばめ ―古典落語と新作落語
三代目三遊亭右女助 ―落語協会と落語芸術協会
橘家文蔵 ―「芸」の質
落語家名鑑 ―平成以降の物故者
おわりに
こんにちの評価の大勢からすれば、けっしてメジャーとは言えないが、それぞれに存在感があった3人の故人となった落語家をとりあげ、所縁の深い現役落語家から聞き取りしたことを中心に記述は進む。(つばめは柳家権太楼師、右女助は桂平治師、文蔵は林家正雀師。)対象がメジャーではない分、寄席を中心とした落語家の世界の、1970〜80年代あたりを中心とした等身大の状況とでもいったものが、かえってリアルに彷彿としてくるような、そんな質がある。この聞き取りをしておこうと考えた著者、そしてそれを一般向けに売り出そうとした出版社、いずれも、「言葉を選ばずに言えば」志が高いと思う。
巻末の「名鑑」も『古今東西落語家事典』を補ってくれて、有り難い。立川談志を故人として扱った、最初の単行書じゃないかしらん。
![]() | 随筆 上方落語の四天王――松鶴・米朝・文枝・春団治 (2011/09/30) 戸田 学 商品詳細を見る |
(岩波書店,2011.9.29,237頁,\2,400〈本体〉)
読んでいて、話題になっている落語家のその落語を、もう一度聴いてみたくなる本です。いいです。
私的には、桂米朝の「鹿政談」をめぐって、正岡容の文章をとおした3代目三遊亭円馬受容を、とうとう米朝師本人に告白させた件(42頁)だけで、大収穫。
亡くなりましたなァ。
私の手元にある、立川談志関係の資料でもっとも古いもの。

昭和28年10月上席の神田立花演芸場の番組表。
この前座に出ている「柳家小よし」が、入門2年目で17歳の家元。
立花は、この翌年に閉席する。番組は、協会に関係ない編成で、「有名会」を謳っている。
この錚々たる顔ぶれで、10日間連続、しかも番組表にしっかり名前を出しての出演は、席亭も小よしの力量を認めての登用だったのではないか、と想像する。
ちなみに、この番組表左の「湯河原温泉にご招待」の記事中に見える「柳家三志楼」は、2代目柳家権太楼を名乗った人物。
実は、この10日間の小よしの演目が、奇跡的に判明している。以下の通り。
・初日 狸
・2日目 長屋の算術
・3日目 犬拾い
・4日目 根問い
・5日目 子ほめ
・6日目 ぞろぞろ
・7日目 雪とん
・8日目 弥次郎
・9日目 道具屋
・千秋楽 犬拾い
前座噺よりは重いネタも混じっている印象。ところで「犬拾い」って、どんな噺?
もうひとつ、手元の古雑誌から。

『笑の泉』昭和31年12月号。
すでに二つ目に昇進し、小ゑん時代の似顔絵。
「噺と青春謳歌二本立」という短文も寄せている。この文、『談志人生全集』にも未収録(たぶん)。
絵は、長新太だって。さすがに上手い。
私の手元にある、立川談志関係の資料でもっとも古いもの。

昭和28年10月上席の神田立花演芸場の番組表。
この前座に出ている「柳家小よし」が、入門2年目で17歳の家元。
立花は、この翌年に閉席する。番組は、協会に関係ない編成で、「有名会」を謳っている。
この錚々たる顔ぶれで、10日間連続、しかも番組表にしっかり名前を出しての出演は、席亭も小よしの力量を認めての登用だったのではないか、と想像する。
ちなみに、この番組表左の「湯河原温泉にご招待」の記事中に見える「柳家三志楼」は、2代目柳家権太楼を名乗った人物。
実は、この10日間の小よしの演目が、奇跡的に判明している。以下の通り。
・初日 狸
・2日目 長屋の算術
・3日目 犬拾い
・4日目 根問い
・5日目 子ほめ
・6日目 ぞろぞろ
・7日目 雪とん
・8日目 弥次郎
・9日目 道具屋
・千秋楽 犬拾い
前座噺よりは重いネタも混じっている印象。ところで「犬拾い」って、どんな噺?
もうひとつ、手元の古雑誌から。

『笑の泉』昭和31年12月号。
すでに二つ目に昇進し、小ゑん時代の似顔絵。
「噺と青春謳歌二本立」という短文も寄せている。この文、『談志人生全集』にも未収録(たぶん)。
絵は、長新太だって。さすがに上手い。
去年の正月、デパートの古書市で入手した番付写本。
半紙二つ折りで半面それぞれに番付が筆写されている。端に綴じ穴が認められるので、かつては数丁綴り合せられていたと思しい。丁の表にあたる面には「東土産」と題する別の番付を筆写してあり、欄外(左肩)に「安政三丙辰新板」と記される。

ここに紹介する「四法柾」なる番付は刊記を有さないが、原本はやはりそのころ出版のものかと、とりあえず見当がつけられる。東西それぞれ五段に仕切られ、最上段は花魁とその特技(狂歌・花道など)、2・3段目は歌舞伎役者が忠臣蔵の役名に引き当てられている。そして、4段目に講釈師とその代表的読み物、5段目に噺家とその得意とする演目(噺の題名ではなく、ジャンル)が列挙されている。中央の柱には、これとは別に、講釈師では松林亭伯円・伊東燕陵・梅林舎南鶯の3名、噺家では桂大和大掾・五明楼玉輔・古今亭志ん生の3名が名を連ねる。

この番付の成立を、列記されている人名から考証するに、噺家でいうと、桂大和大掾襲名の嘉永5年から、初代志ん生歿の安政3年までとの見当がつく。役者では、団十郎・男女蔵(ともに嘉永7年歿)が存命で、中村仲助・中村歌女之丞(ともに嘉永六襲名)がいることから、嘉永6・7年ごろに絞られそうである。『歌舞伎年表』等によるに、嘉永7年5月には、江戸の市村座と中村座が忠臣蔵を競演しており、当番付が、役者にはそれぞれ忠臣蔵の役名を引き当てているのは、あるいはそのあたりの事情を当て込んだものか。嘉永7年は11月に改元されて安政元年となる。写本ながら、まだ未紹介の番付かと思われるので、ご紹介した次第。
半紙二つ折りで半面それぞれに番付が筆写されている。端に綴じ穴が認められるので、かつては数丁綴り合せられていたと思しい。丁の表にあたる面には「東土産」と題する別の番付を筆写してあり、欄外(左肩)に「安政三丙辰新板」と記される。

ここに紹介する「四法柾」なる番付は刊記を有さないが、原本はやはりそのころ出版のものかと、とりあえず見当がつけられる。東西それぞれ五段に仕切られ、最上段は花魁とその特技(狂歌・花道など)、2・3段目は歌舞伎役者が忠臣蔵の役名に引き当てられている。そして、4段目に講釈師とその代表的読み物、5段目に噺家とその得意とする演目(噺の題名ではなく、ジャンル)が列挙されている。中央の柱には、これとは別に、講釈師では松林亭伯円・伊東燕陵・梅林舎南鶯の3名、噺家では桂大和大掾・五明楼玉輔・古今亭志ん生の3名が名を連ねる。

この番付の成立を、列記されている人名から考証するに、噺家でいうと、桂大和大掾襲名の嘉永5年から、初代志ん生歿の安政3年までとの見当がつく。役者では、団十郎・男女蔵(ともに嘉永7年歿)が存命で、中村仲助・中村歌女之丞(ともに嘉永六襲名)がいることから、嘉永6・7年ごろに絞られそうである。『歌舞伎年表』等によるに、嘉永7年5月には、江戸の市村座と中村座が忠臣蔵を競演しており、当番付が、役者にはそれぞれ忠臣蔵の役名を引き当てているのは、あるいはそのあたりの事情を当て込んだものか。嘉永7年は11月に改元されて安政元年となる。写本ながら、まだ未紹介の番付かと思われるので、ご紹介した次第。
紙切れを入手。紙切れじたいには刊記などが一切ない(欄外左下に「ステキヤ書」とあるのが出版元に関する唯一の情報。でも詳しいことは未詳)ため、いつごろのものかを考証してみたところ、なかなかおもしろいものであることが判明。

説明の便宜のため、右下に示したようにマス目にA〜Zの記号をつけてみた。

古書市でこれを手に入れたそのときは、明治の前半頃のものかなァとなんとなく思ったんだけれど、それにしては「圓朝」や「燕枝」の名前がないのが不自然。さらにその後とすると「圓右」や「圓喬」「小さん」といった名が見えないのがヘン。というわけで、どうもこれは江戸時代にまで溯るモノらしいゾ、ということになってきた。
で、例によって、『古今東西落語家事典』(平凡社)、橘左近『東都噺家系図』(筑摩書房)にお世話になりながら、この紙切れに記された噺家の考証に入った次第。まず大きな目安になるのは、C・Vに「文治」「文樂」「大和大掾」の3人が揃っていること。これは順に4代目・5代目・3代目の桂文治のことと思われる。で、この3人がこの名前で揃っていた時期というのが、嘉永5年(1852)9月(3代目文治が楽翁から大和大掾を名乗る)から安政4年(1857)6月26日(大和大掾歿)まで。まずはこれで、この紙切れの刊行時期のおおよその見当がつく。(ちなみにVにみえる「由の助」は「由之助」とも記し、4代目桂文治の息子にして、後に6代目桂文治になる人。つまりこの番付には、3代目から6代目までの文治が勢揃いしていることになる。)
さて、おおよその年代の見当がついたところで、さらに年代を絞り込む情報はないものかを探してみる。Uに見える「鯉かん」は初代滝川鯉かんで、嘉永6年刊の『落語年代記』なる資料(『日本庶民文化資料集成』8に掲載)に「故人」とされている。Aに「扇歌」の名が見えるが、これは初代都々一坊扇歌の可能性が高いと思うが、そうだとすると、その歿年月日が嘉永5年10月29日(21日説もある由)。4代目文治の大和大掾襲名の翌月である。ということは、この番付じたいの刊行が、嘉永5年9月〜10月ごろである、ということになりそうだ。
Cに「むらく」と見えるが、朝寝坊むらくの3代目は安政3年の襲名なので、それ以前のむらくということになる。では2代目か、というと、2代目むらくの生没年は未詳のものの、むらく襲名は天保2年(1831)であることが判っている。この番付発刊の29年前である。ずいぶん息の長い人であったことになろうか。翌嘉永6年の『落語年代記』(既述)には「故人」となっており、2代目むらく生存が確認できる最末期の資料ということにもなろうか。『日本庶民文化資料集成』8には、嘉永4、5年ごろの番付をいくつか収録するが、「むらく」の名は見えない。
さて、先ほど「「圓朝」や「燕枝」の名前がない」と書きました。初代柳亭燕枝(談洲楼)は噺家になるのが安政3年のことなので、たしかにまだここに名は見えない。しかし、実は圓朝はここにいるわけでして、Hに見える「小圓太(橘屋)」がそれ。彼は弘化2年(1845)に父・橘屋圓太郎(Gに見えている)の下で小圓太を名乗った。時に数えで7歳。この番付刊行の時にもまだ14歳。後世、芝居噺や人情噺で売った圓朝も、この番付には「滑稽はなし」の枠に括られている。
ところで、この番付の中央には、「桂連」「立川連」「翁連」などと、噺家の一門が連記されているが、意外なのは「三遊連」とないこと。欄外左側に「右之外、連多数御座り升」と断りがあるものの、これだけ一門が列挙されている中に、「三遊連」がない、ということは、やはりそれだけ三遊亭の一門が劣勢にあったことをうかがわせるものだと思う。小島政二郎の小説『圓朝』では、若き小圓太が三遊亭一門の凋落を憂い、初代圓生の墓前で一門の再興を誓い、みずから三遊亭圓朝を名乗る、ってぇところがあるけれど(元は『三遊亭圓朝子の伝』かなんかでしょう)、まったくそのとおりだったことがわかるナマ資料。
その他、Sには「里う馬」の名が見えるが、これなどはよくわかっていない2代目土橋亭里う馬の襲名時期をうかがわせる目途になるものかもしれない。前述の『日本庶民文化資料集成』8所収のほぼ同時期の番付類にはまだ2代目里う馬が見えていない。それぞれの噺家のカテゴライズされている枠も、その噺家の芸質をうかがわせて興味深い。なお、じっくりと検討してみたいと思う。とりあえず、概略の報告まで。(2005.10.21)

説明の便宜のため、右下に示したようにマス目にA〜Zの記号をつけてみた。

古書市でこれを手に入れたそのときは、明治の前半頃のものかなァとなんとなく思ったんだけれど、それにしては「圓朝」や「燕枝」の名前がないのが不自然。さらにその後とすると「圓右」や「圓喬」「小さん」といった名が見えないのがヘン。というわけで、どうもこれは江戸時代にまで溯るモノらしいゾ、ということになってきた。
で、例によって、『古今東西落語家事典』(平凡社)、橘左近『東都噺家系図』(筑摩書房)にお世話になりながら、この紙切れに記された噺家の考証に入った次第。まず大きな目安になるのは、C・Vに「文治」「文樂」「大和大掾」の3人が揃っていること。これは順に4代目・5代目・3代目の桂文治のことと思われる。で、この3人がこの名前で揃っていた時期というのが、嘉永5年(1852)9月(3代目文治が楽翁から大和大掾を名乗る)から安政4年(1857)6月26日(大和大掾歿)まで。まずはこれで、この紙切れの刊行時期のおおよその見当がつく。(ちなみにVにみえる「由の助」は「由之助」とも記し、4代目桂文治の息子にして、後に6代目桂文治になる人。つまりこの番付には、3代目から6代目までの文治が勢揃いしていることになる。)
さて、おおよその年代の見当がついたところで、さらに年代を絞り込む情報はないものかを探してみる。Uに見える「鯉かん」は初代滝川鯉かんで、嘉永6年刊の『落語年代記』なる資料(『日本庶民文化資料集成』8に掲載)に「故人」とされている。Aに「扇歌」の名が見えるが、これは初代都々一坊扇歌の可能性が高いと思うが、そうだとすると、その歿年月日が嘉永5年10月29日(21日説もある由)。4代目文治の大和大掾襲名の翌月である。ということは、この番付じたいの刊行が、嘉永5年9月〜10月ごろである、ということになりそうだ。
Cに「むらく」と見えるが、朝寝坊むらくの3代目は安政3年の襲名なので、それ以前のむらくということになる。では2代目か、というと、2代目むらくの生没年は未詳のものの、むらく襲名は天保2年(1831)であることが判っている。この番付発刊の29年前である。ずいぶん息の長い人であったことになろうか。翌嘉永6年の『落語年代記』(既述)には「故人」となっており、2代目むらく生存が確認できる最末期の資料ということにもなろうか。『日本庶民文化資料集成』8には、嘉永4、5年ごろの番付をいくつか収録するが、「むらく」の名は見えない。
さて、先ほど「「圓朝」や「燕枝」の名前がない」と書きました。初代柳亭燕枝(談洲楼)は噺家になるのが安政3年のことなので、たしかにまだここに名は見えない。しかし、実は圓朝はここにいるわけでして、Hに見える「小圓太(橘屋)」がそれ。彼は弘化2年(1845)に父・橘屋圓太郎(Gに見えている)の下で小圓太を名乗った。時に数えで7歳。この番付刊行の時にもまだ14歳。後世、芝居噺や人情噺で売った圓朝も、この番付には「滑稽はなし」の枠に括られている。
ところで、この番付の中央には、「桂連」「立川連」「翁連」などと、噺家の一門が連記されているが、意外なのは「三遊連」とないこと。欄外左側に「右之外、連多数御座り升」と断りがあるものの、これだけ一門が列挙されている中に、「三遊連」がない、ということは、やはりそれだけ三遊亭の一門が劣勢にあったことをうかがわせるものだと思う。小島政二郎の小説『圓朝』では、若き小圓太が三遊亭一門の凋落を憂い、初代圓生の墓前で一門の再興を誓い、みずから三遊亭圓朝を名乗る、ってぇところがあるけれど(元は『三遊亭圓朝子の伝』かなんかでしょう)、まったくそのとおりだったことがわかるナマ資料。
その他、Sには「里う馬」の名が見えるが、これなどはよくわかっていない2代目土橋亭里う馬の襲名時期をうかがわせる目途になるものかもしれない。前述の『日本庶民文化資料集成』8所収のほぼ同時期の番付類にはまだ2代目里う馬が見えていない。それぞれの噺家のカテゴライズされている枠も、その噺家の芸質をうかがわせて興味深い。なお、じっくりと検討してみたいと思う。とりあえず、概略の報告まで。(2005.10.21)
死んじゃったかと思ったでしょ?
久しぶりにコメントしたくなる本に出っくわしました。
希代の珍書。
それなりに現代の落語に関する言説には通じているつもりだったのだけれど、この本が、なにを批判しようとしているのか、私にはわからなかった。著者が批判しているような批評態度にいちばん近いのは、ブログその他、ネット上に氾濫しているらしい(というのも、最近、落語会や寄席の感想をネットでチェックする、という習慣がほとんどなくなってしまった。数年前と寄席・落語をめぐるネット環境は完全に一変してしまった)落語会や寄席への批評かなァなどと思ったていど。いろいろと具体的な落語家やその高座のエピソードは紹介されるけれど、著者の主張は1つで、それが延々と繰り返される。
いったい世間の読者はどう感じているのだろうと、アマゾンのブックレヴューを見てみてビックリ。5件中4件が5つ星。「胸のすく快著」なのだそうだ。あれを読んでそう思えるのは、普段から著者と一緒に落語談義をしている人としか思えない。そうじゃない、と反論されるかもしれないけど、そうかどうかを問題にしているのではなくて、つまり、それくらい、何をターゲットにしているのか、私には理解できなかった、ということ。
そのような内容なのに、広く一般に向けた新書という型式で出版された、ということをして、「希代の珍書」と評した次第。
せめて、批判している具体的な人物なりその文章なりを引き合いに出してもらいたかった。だったら、書きようによって、面白く読める1冊にもなったかもしれない。世の「評論」にうっかり左右されてしまうような落語初心者には、ぜったい理解できないはず。
1件だけ星2つの評価。誰かと思ったら小谷野敦氏だった。小谷野氏の推量では、批判のターゲットは京須偕充氏か、とのこと。ふーん。
久しぶりにコメントしたくなる本に出っくわしました。
![]() | 落語評論はなぜ役に立たないのか (光文社新書) (2011/03/17) 広瀬和生 商品詳細を見る |
希代の珍書。
それなりに現代の落語に関する言説には通じているつもりだったのだけれど、この本が、なにを批判しようとしているのか、私にはわからなかった。著者が批判しているような批評態度にいちばん近いのは、ブログその他、ネット上に氾濫しているらしい(というのも、最近、落語会や寄席の感想をネットでチェックする、という習慣がほとんどなくなってしまった。数年前と寄席・落語をめぐるネット環境は完全に一変してしまった)落語会や寄席への批評かなァなどと思ったていど。いろいろと具体的な落語家やその高座のエピソードは紹介されるけれど、著者の主張は1つで、それが延々と繰り返される。
いったい世間の読者はどう感じているのだろうと、アマゾンのブックレヴューを見てみてビックリ。5件中4件が5つ星。「胸のすく快著」なのだそうだ。あれを読んでそう思えるのは、普段から著者と一緒に落語談義をしている人としか思えない。そうじゃない、と反論されるかもしれないけど、そうかどうかを問題にしているのではなくて、つまり、それくらい、何をターゲットにしているのか、私には理解できなかった、ということ。
そのような内容なのに、広く一般に向けた新書という型式で出版された、ということをして、「希代の珍書」と評した次第。
せめて、批判している具体的な人物なりその文章なりを引き合いに出してもらいたかった。だったら、書きようによって、面白く読める1冊にもなったかもしれない。世の「評論」にうっかり左右されてしまうような落語初心者には、ぜったい理解できないはず。
1件だけ星2つの評価。誰かと思ったら小谷野敦氏だった。小谷野氏の推量では、批判のターゲットは京須偕充氏か、とのこと。ふーん。
![]() | 円朝 牡丹燈籠―怪談噺の深淵をさぐる (2009/09) 石井 明 商品詳細を見る |
(2009.9.15,254頁,\2,800〈本体〉)
三遊亭円朝の代表作「牡丹燈籠」を対象に、さまざまな切り込み方で縦横無尽に論じる。
![]() | 志ん生の昭和 (アスキー新書 121) (2009/09/09) 保田 武宏 商品詳細を見る |
(2009.9.10,アスキー・メディアワークス,173頁,\743〈本体〉)
はじめに
第一章 なめくじ長屋
〈震災まで/二足のわらじ/三語楼門下に/笹塚暮らし/なめくじ長屋/ラジオ初出演/改名の功なし/隅田川馬石/我慢と努力/再び志ん馬に/文楽の友情/落語睦会へ移籍〉
第二章 「火焔太鼓」
〈三名人競演と「火焔太鼓」/全国放送と雑誌の速記/金原亭馬生襲名/レコード吹き込み/落語研究会/二・二六事件/さらば落語睦会/次男・強次誕生〉
第三章 ああ、満州
〈古今亭志ん生襲名/禁演落語/独演会/満州行き〉
第四章 「お直し」
〈帰国/三題噺/民間放送/「お直し」/全盛時代/巨人軍優勝祝賀会/三十一日会と精選落語会/隠居〉
おわりに
志ん生のホール落語出演記録
志ん生の放送出演記録(落語のみ)
今年度の落語関係著書の白眉!
今後の志ん生に対するコメントは、まずこの1冊を踏まえるところから始められなくてはならない。
我々が、音源で知っている志ん生なんて、彼の噺家人生の後半三分の一に過ぎないんだ。
志ん生が、震災後から終戦前後の落語界の状況の中で、どのように芸を磨き、地位を確立していったかが、確実な資料を基に記述されて行く。志ん生個人の評伝としてだけでなく、昭和前半期の落語史としても、きわめて貴重。
情報ソースを集成した資料編みたいなものを出してもらいたいけれど、無理かなぁ。
![]() | 五・七・五―句宴四十年 (2009/07) 東京やなぎ句会 商品詳細を見る |
(2009.7.17,258頁,\2,000〈本体〉)
![]() | 立川談志 (橘蓮二写真集 噺家) (橘蓮二写真集噺家) (2009/08/11) 橘 蓮二 商品詳細を見る |
(2009.8.30,94頁,\2,667〈本体〉)
帯に曰く「談志、歳をとった。最期まで狂え。 立川談志」。
![]() | 三遊亭円朝探偵小説選 (論創ミステリ叢書) (2009/06) 三遊亭 円朝 商品詳細を見る |
(2009.6.30,516頁,\3,200〈本体〉)
創作篇
西洋人情話英国孝子ジョージスミス之伝
侠骨今に馨く賊胆猶ほ腥し松の操美人の生埋
欧州小説黄薔薇
雨夜の引窓
指物師名人長二
資料編
「名人長二」になる迄―翻案の径路(馬場孤蝶)
親殺しの話(有島幸子訳)
解題(横井司)
![]() | 落語ファン倶楽部 Vol.7 (CD付) (2009/06/05) 笑芸人 商品詳細を見る |
(2009.6.19,115頁,\2,286〈本体〉)
![]() | ろんだいえん―21世紀落語論 (2009/06) 三遊亭 円丈 商品詳細を見る |
(2009.6.10,346頁,\1,800〈本体〉)
面白い。いいです。新作落語論として、今のところ最高水準なんじゃないでしょうか。
![]() | 創作落語論 (河出文庫) (2009/06/04) 五代目 柳家つばめ 商品詳細を見る |
(2009.6.20,246頁,\800〈本体〉)
各章ごとに夢月亭清麿・大友浩による解説が付され、巻末には2人による対談解説。




















